いよかん収穫記録 2016 vol.3
A級作業員 男(75)トラック運転,男(50)モノレール運転,男(31),女(70),女(65),女(75)
B級作業員 男(40),男(32),男(25),女(67)
畑の難易度 A(斜面だが段が切ってあり足場安定)
樹齢 15〜20年生
3Lサイズ多い。全体的に大きめ。
1周目 色もぎ 7分着色以上
不作年のため果実少なめ。
よく成っている木ほど着色もよい。
運搬距離 モノラックで往復7分
7:30〜12:00 キャリー240杯
13:00〜16:30 雨のため倉庫で選別作業(男のみ) 300キャリー
収穫量 計 240杯
1キャリー約10キロとして、2400キロ収穫。
一人あたり240キロ。
12月15日と16日に収穫して温度とガスを入れた果実を選別したが、4日程度しか貯蔵していないわりには色が来ていた。
かいよう病と黒点病は目立ち、虫による捕食跡も見つけられた。
本日から雇った人たちも働きはじめて、本格的な収穫シーズンの開始となる。
いよかん収穫記録2016 vol.1
本日から2016年シーズンの収穫を開始。2月末まで続く予定。
A級作業員 男(75)トラック運転,男(31)モノレール運転,女(70),女(65)
畑の難易度 A(斜面だが段が切ってあり足場安定)
樹齢 15〜20年生
3Lサイズ多い。全体的に大きめ。
1周目 色もぎ 7分着色以上
運搬距離 モノラックで往復10分
7:30〜12:00 キャリー81杯
13:00〜16:30 キャリー60杯
計 141杯
1キャリー約10キロとして、1410キロ収穫。
一人あたり352.5キロ。
雨の日、松山のマックにて(協力隊の帰国時プログラムのことやらなんやかや)
ついにこのブログを再開する時が来ましたか。
いや、帰国時プログラムが終わった後、書くつもりではいたものの、なんだかんだでタイミングを逃して来てしまいましたな。
とりあえず、帰国してからのことをまとめると、東京で帰国時プログラムを受けてから少し実家の愛知県に帰り、すぐに愛媛県に行き、伊予柑の収穫をしていた後、愛媛県の果樹研究センターに通いながら勉強しつつ農家の修行をしているというところでしょうか。
しかし、ブログ書くのほんと久しぶりだな。どんな文体で書いてたか思い出せないや。
なんか、帰国事プログラムのことを書こうと思ってたんだけど、もうすっかり忘れちゃってます。3ヶ月経ってるもんなぁ。てか、まだ3ヶ月しか経ってないやらもう3ヶ月経ってるやら、よくわからなくなりますな。
日本の生活にはすっかり慣れてますが。
そうそう、ナミビアの旅行ネタはまだリューデリッツとか書いてない町がいっぱいあるので、どこかで書こうとは思うんですが、青年海外協力隊のことについてはもう最後にしないといけないので、ここで帰国時プログラムのことを書いて終わりにしようと思います。いや、まぁたいしたことやってないんですけどね。
てか、日本に帰ってきてから、青年海外協力隊に行ってたことを近所の人やらいろんな人に話す機会が多くあるんですが、なんでみんな「海外青年協力隊」って言い間違えるんでしょうね??たいしたことじゃないんだけど、みんながみんな言い間違えてるから逆に気になってしょうがないですなぁ。
さて、帰国時プログラムのことでしたね。3ヶ月前の記憶を頼りに書いてみることにします。
あれはたしか、1月14日と15日にあったと思うんですが。帰国した日の翌日だったので。
そうそう、ホテルのサービスがあまりにも素晴らしくて驚いてたんだった。コンビニの品揃えとかにも。
14日は10時にJICA市ヶ谷に集合で、服装はみんな私服でしたね。スーツ着てる人はいなかった気がする。民族衣装の人も。飛行機のチケットとか集めて提出する書類とかを集めたあと、賞状というか感謝状というのをJICAの職員の人からもらいましたな。
そのあとは帰国時ハンドブックに沿って手続きやらなんやらの説明があって、昼になってました。ランチはJICA市ヶ谷の食堂でうどん食べてた。わりと美味しかった気がする。
で、昼からも再就職についてやなんやらの説明もあったあと、希望者だけ進路希望のカウンセリングみたいなのを受けてました。教員系にいきたいとか国際協力系にいきたいとか普通の会社員になりたいとかの人たちが。僕は農業としてたので特に何も受けることなく市ヶ谷の駅近くの本屋に行ったり、防衛省のあたりを散歩したりしてました。天気が良くてよかった。
あとは、JICAから指定された人は技術顧問だか誰やらの前で成果発表みたいなのをやらなきゃいけないとかで、面談のような形で何をやってきてどんな効果があったのかをプレゼンしてたようです。僕はそういうのはなかったので全く自由時間でした。
で、5時半くらいから公用旅券の返却があったので市ヶ谷に戻って旅券を受け取って1日目は終了でした。
次の日が健康診断だったので、特に飲みに行くこともなく、同期隊員と市ヶ谷の寿司屋で寿司を食べて解散でした。
久しぶりに夜に歩いても平気だという状況にテンションもあがり、浜松町で降りて東京タワーをみながら品川まで歩いて帰ったりしてました。わりと遠かった。
15日は新宿で健康診断で、僕は10時だったんですが人によって9時半とか10時半とかでずれてるみたいですね。結局12時過ぎくらいまでかかってました。
この日は、特に隊員が集まるわけでもなく、ただ単に同じ会場で健康診断を受けるというだけなので流れ解散みたいになってました。
感傷に浸る暇もない。
終わったあとは新宿の紀伊国屋にちょっと寄ったあと、実家に帰って行きました。
帰国時プログラムの内容はこんな感じでしょうかね。
いや、書いてて思ったけど、ほんとたいしたことやってないなぁ。
まぁ同期隊員とは自分の場所に帰るとなかなか会えなくなるので、帰国時プログラムくらいで最後の打ち上げをしておくと、いいのではないでしょうか。
僕なんかだと、愛媛でさらに島暮らしなので同期隊員と会うことなんてほぼないと思ってましたからな。
まぁ、就職が決まるまでとか仕事がはじまるまでとかで島に収穫の手伝いにきてくれた人もいるんですが。
12月から2月くらいまでは収穫の繁忙期なので、帰国してヒマしてる隊員の方がいたらぜひアルバイトしにきてくださいな。
さて、これで協力隊関連のことは書ききった感はあるので、これからは農業と会社経営についてのブログにしていこうと思います。
そうそう、今日は雨で作業もできないのと、今夜の夜行バスで名古屋に行くので早めに研究センターを退庁して松山のマックでブログを書いてるんだけど、3年ぶりくらいにマックに来ましたな。ナミビアにはケンタッキーはあったけど、マックはなかったから。
ハングリーライオンよりは美味しいと思います。コーヒーはまずい。
あと店内はガラガラで高齢者が多い。
時代は変わってるねぇ。平日の昼間だからかな。
まぁこれからも地味に更新していこうとは思うので、引き続き宜しくお願いします。
ではでは